同じ支援ができない同僚で困る



知的障害がある人の支援施設から、
「同じ支援ができない同僚で困る」
というご相談はよく入ってきます。

この相談は、
いつも不思議に思うのですが、
支援というのは、
職員すべてが
同じでなければならないのでしょうか?

「同じ」とは、何を示すのかも
よくわからないのですが、
人のすることですから、
同じということは、
なかなかできないと思いませんか?

全く同じ動きができるわけでもないですし、
役者のセリフのように、
同じ文言で話かけるというのも
できるのでしょうか?

相手も人ですし、
同じ動きをするわけでもなく、
その日その日で、
変わるでしょうから、
同じことができるはずもないのです。

それに、
同じ支援をするというのは、
良くない場合もあります。

その支援が正しいと
思ってしまっていると言うことにも
なりかねません。

本当に正しい支援なのかは、
様々な支援をやってみるからこそ、
生れてくるものです。

Aという支援とBという支援をしてこそ、
比較をすることができ、
より良い支援が生まれるのです。

それを、誰かが決めた支援に固執していると、
もっと良い支援というのは、
生れにくくなるわけですから、
支援を統一することが、
本当に良いのか、
疑問です。

また、自立を考えた時に、
周りにいる人たちが、
いつも同じことをしてくれるとは限りません。
ですから、
同じでありすぎる環境は、
良いとは限りません。

その支援者の支援を受け入れるというか、
違う支援でも同じ効果(結果)が得られれば、
こういう支援方法もあるのねと、
イメージできます。

そして、もし、
間違った支援や
支援が足りなかったときに、
ご本人が自分から、
支援者の不足部分をして
何事もなくできている場合もあります。

一人でできるの?
という瞬間もあり、
支援がいつも同じでない事で生まれる
きっかけもあります。

何でもかんでも同じである必要性の方が、
ないと思うのですが、
どうもそこに不安を感じる人が
結構見られるわけです。

そう思っている人は、
自分の支援が正しいと
思っているのではないでしょうか?

そして、他者が自分と違う
支援をしていることに対して、
良い感情を持っていません。
同じでないことで、
きっと不愉快な感情が
起きているのでしょう。

もしかしたら、利用者の人が、
何か不具合を起こしているかもしれません。
でもそれは、違う支援だからなのか?
検証をしてみてください。

「同じ」というのは、
方法で同じなのではなく、
考え方とか、
障害の見かただと思うのです。

ここに困っているよね?
という部分の見方は同じして、
そこに入れる支援は、
人それぞれやってみても
よいのではないでしょうか?

そのうち、
支援方法が確立して行くかもしれませんが、
いつも同じことに固執せず、
より良い支援を
目指してみてほしいと思うのです。

そのためには、
自分と違った支援を見る機会は
それこそチャンスなのです。

主体者であるご本人から
「この支援方法でお願いします」
ということがあれば、
支援者は同じである努力も必要です。
これは、支援者が決めることではなく、
ご本人側から要望されていることですから。

でも、支援者側だけで決めるのは、
非常に良くないという意味です。

また、ご本人が要望されていても、
支援者から考え、
もっと良い支援があれば、
変更もありうるのです。

その場合は、ご本人に
提案することになりますから、
やはり私たちは同じ支援だけに
固執するのではなく、
新たな支援を
また生み出していくことなのでは
ないでしょうか?

時代が変われば、
福祉用具なども変わってきますし、
今までなかったものができれば、
それを使うこともあるでしょう。

マニュアル通りで、この先ずっと
OKとするようなことの無いように、
他者の支援方法をまず受けいれ、
その方法で
利用者の人が困らないようであれば
ためしてみる価値はあるという気持ちも
持ち合わせましょう。

誰もが、
新しい支援を提案することができるのです。
それは、向かう方向性が同じときです。

向かう方向性が
違う方向の場合は、
方向性を合わせていくことです。

方向性と、
方法を
一緒にせずに、
また、その同僚の方を責めたてず、
より良い支援を展開していきましょう!