知的障害がある人の支援をしているときに、
ただただ漠然と、関わっているだけの人も良く見かけます。
たとえば、
活動をしていて、
この利用者にとって、
どんな意味があるのですか?とか、
この作られた作品は、
どうなっていくのですか?
と聞くと、
職員には、何の目的も感じていなかったり、
作品は山積みになっていたり。
じゃあ、この活動をすることで、
どんな自立に結びつくのかの
イメージも持ち合わせていない職員もいます。
こうなってくると、
その利用者が、
どんな支援を望んでいるのだろうかと
伺い知ろうとすることもなく、
毎日をただただ、
時間を過ごすだけになっているような
施設になってしまいます。
さて、
私たち職員は、
彼らの望む支援を
直接的に、
聴く機会に恵まれない場合も多く、
こちらかも確かめようとしていないと、
支援が必要な瞬間を逃すことになります。
さて、あなたには、
観察力があるでしょうか?
そして、それを彼らに、
問う力があるでしょうか?
彼らは、
自分の要求を言葉で話さない人が多くいます。
どこにどんな支援をどれだけ入れてほしいなどとは、
ほとんどの人が言ってこないことでしょう。
でも、私たちの観察と、
私たちの質問で、
彼らは彼らの表現をしてくれる人もいますし、
その支援で、自立に向かえる人もいるのです。
何かに困っていたり、
何かができるようになってみたかったり、
支援が欲しい状態だから施設に来ているのです。
だから、私たち職員が支援者としているのです。
彼らのしていること。
つまり、行動を見ていると、
困っているときが見えてきます。
例えば、
割りばしの袋をあけようとして、
何度も袋を切ろうとしているけど、
切れない状態。
この時は支援を入れる部分になります。
では、どんな支援が必要でしょうか?
あなたは、
その人に、「袋が開けられないのね?」
と、言葉をかけて、
返事があるなしにかかわらず、
箸を預かり、袋を開けて
その人に割りばしを渡し、
袋は、ごみ箱に捨てるのではないですか?
ここでのこの支援者の行動は、
支援のように見えますが、
支援ではないです。
しいて言うなら、関わりです。
支援であれば、
こんなことをすると思います。
「どうしましたか?」
「何かお困りですか?」
「職員にしてほしいことがありますか?」
「自分でするのですか?私がしましょうか?」
などの質問でしょう。
この質問によって、
この利用者は、
支援者に支援をしてほしいと思うのか、
いやいや、自分でやろうとするのかがわかります。
支援者はおせっかいの人も多く、
やってあげたくなってしまったりします。
でも、たとえば、袋に切れ目を
入れればできるかもしれません。
袋の口だけを切り開けば、
あとはできる人もいます。
この方法の違いは、
また確認になります。
「これで良いですか?」という質問とともに。
観察と質問。
そこで、
職員がするべきことを確認するのです。
なにをするのか?
どこまでするのか?
ここが、きめ細やかさと言われる部分です。
あなたのしていることが、
自立のための支援の始まりに
なっているのでしょうか?
目指すは、
「街中で困った時に知らない人に
SOSが言えること」という人も
いることでしょう。
また、最重度と言われる人も、
ニコッとする表情で
表現してくれるかもしれません。
関わりと支援は違うのです。
あなたが、彼らの様子を
観察することで、
困っていたり、
できるようになりたいことをつかみ、
質問しつつ、
きめ細やかな支援とするのです。
ほぼほぼ、
関わりだけの支援職員が
多いのではないでしょうか?
日々の彼らの行動を流してはいけません。
せっかく表出した行動です。
そこからあなたの
支援という仕事を
見つけ出すことです。