軽度だから選べるとは限らない



知的障害がある人は、
「自分で選ぶ」「自分で決める」
ということのむずかしさがあります。

「自己選択・自己決定」という言葉が
最前線として、よく使われていた時代があり、
その結果、様々な場面で支援者の皆さんが取り入れ、
自分で決定することや嫌だということが言える場面は
増えていると思います。

それは、支援者が場面を設定しているからこその実績です。
でも、まだまだという印象もまたあるのです。

さて、あなたの周りの知的障害軽度の人は、
「自己選択や自己決定」といったことが
できているでしょうか?

さきほど、
「支援者が場面を設定しているからこそ」と
申しあげました。

つまり、軽度の人たちには、
なかなかそういう場面を設定されにくく、
「自己選択や自己決定」ということなく、
周りに流されてしまうことが多々あるのです。

自分が、どうしたいか?なんて、
「軽度だから自分で言うだろう?」と思い込んでいませんか?

「意見があったら言ってね?」と言われ、
いつ行ったらよいかがわからない
軽度の知的障害の人もいます。

そして、軽度だから放置されることが多いですよね?
実際的な支援が重度と言われる人ほど多くなり、
手をかけなくても、何とかなる軽度だからと
放っておかれる状況ではありませんか?

さらには自立しているから、
コミュニケーション支援は不要と
思いこまれたりすることもあり、
彼らにとって必要な支援が
届いているのでしょうか?

重度の人と一緒だと、どうしても後回しになる分、
もっと一人で実用的な方法を身につけられるよう、
改めて「自己選択や自己決定」という場面を
軽度の人にも積極的に取り入れ、
「その人の自立」を考えてみてはいかがでしょうか?

軽度の人たちも、重度の方々と同じくらいの割合で
支援を受ける権利を持っています。

では、軽度の人だからこそとは、
どんな支援があるのでしょうか?

例えば、職員の指示と違ったことをしていた時、
軽度の人の方向から見れば、
自分で決定をしていると言うことになります。

支援者から見たら、
「言ったことを守らない」
となるかもしれません。

この場合、
なぜそうしたのかの話し合いをしてみませんか?

一方的に支援者が、
言った通りにするべきだと押し付けず、
なぜその行動をしたのかを、
お互いに話し合うと、
彼らがそうした意味が出てきます。

このように、
彼らがしていることの意味を
表面化していくこと。

彼らも人に話すことで、
自分の意見もまとまり、
自己選択自己決定につながっていきます。

また、
意見をこれから聞く場合は、
条件だけ伝えておいて、
自分で考える時間を
長めにとっておきましょう。

例えば、何かを決める際に、
その場では決められないこともありますので、
家で考えてきて、
また別な機会に意見を聞かせてもらうといった方法です。

彼らは彼らなりの人付き合いの中で
意見を言うこともあり、
周りを見て、遠慮しつつ、
自分の意見としてしまう人もいます。

ですから、一人で、
考える時間を保証するのもよいのです。

さらには、
「○○さんは、△△な意見だけど、
あなたは自分の考えを言っていいですよ」のような、
前置きをしておけば、
ご自身の意見が言える人もいます。

遠慮がちな人は、こういった配慮も必要でしょう。

余談ですが、逆もありますね。
人の意見を批判する人もいますが、
自分の意見を批判されたらどうか?を
問うと、自分だったらどうかを言える人もいます。

それから会話が通じるからと、
支援者からの話を会話だけでする傾向が強くあります。
私はよく、文や図を書き、
それを見ていただきつつ、
選んでいただいたりもしていますが、
断然そのほうが理解しやすいようです。

ですから、コミュニケーションの方法もその人に応じて
工夫していくと、決めやすくなります。

このように、
様々な会話のチャンスをつかみ、
自分の自己選択、
自分の自己決定の機会を
ていねいに作っていくことです。

そして、自分で決めることが
自立につながることもまた
考えつつ、
支援をしていきましょう。