経験を奪うことが解決にはならない



何かの経験をしているときに、
相手に迷惑がかかる行為を
してしまった。

すると、もうそのことを
経験させないという手段を
取る支援者が多くいます。

これは、「臭いものにふた」の原理です。

学校や施設などでも
鍵をかけたり、見えなくしたり、
街の中でもそういうことをしたときに、
近寄らないとか、連れて行かないという方法で、
ご本人に提示しないこともあります。

例えばこんなことです。

本屋に行ったら、
パニックになって、
そこにある本をやぶいてしまったから、
もう二度と本屋にはつれていかない。

つまり、してしまった行動が、
社会に迷惑がかかることとして
捉えてしまい、
例えば、あの本屋に行ったら、
またやるだろう?と、
支援者が思ってしまうこともあります。

もちろん、迷惑をかけて、
弁償となることや、
支援者が謝るような状態も嫌で、
予防線を張るような状態です。

いろいろな理由で、
再度行くことや経験してもらうことを
支援者が躊躇してしまいます。

だから、二度と本屋には
連れて行かないとなります。

もちろん、行かなければ、
本を破くことはしないから安心という
考え方なのでしょう。

行動してしまったことは
ある意味仕方がないのです。
そういう表現でしか
できなかっただけですから。

とはいっても、
表現することはOKですが、
反社会的とか、マナー違反ととられるような
SOS表現は
避けたいところです。

なにかのSOSだとすれば、
その行動の前に
嫌だと思える何が起きたのでしょう。

そこが大切なポイントになります。

だからこそ、
問題を起こした場所に
連れて行かなければ・・・
そのことをやらせなければ・・・

そう思うかもしれませんが、
例えば、
本や連れて行ったら、
毎回その行動になるわけでもないのです。

その時間より前に
何か嫌なことがあったと考えるべきです。

行動には原因がありますから。
もちろん、この事例の場合、
本屋そのものに原因があるとも限りません。

その原因がわかり、
対処法を見つけたり、
原因が取り除かれれば、
本屋に行っても、
本を破かないで、
本を選ぶ楽しみができるのです。

彼らは、何かの訴えのために
その行動をしただけです。

その場で、
適切な方法でする表現を
知らなかっただけです。

その人は常々、嫌なことがあったら、
どう対処するかを
知らないのではありませんか?

表現方法は、
その人が表現できることに
しなければなりません。
その行動をしたところから離しても、
他で、また同じような嫌なことが起きれば、
また嫌だという表現しますよね?
それは、本屋でなくてもどこででもです。

ですから、
嫌だの表現方法を探って、
その人ができる表現方法を
模索しましょう。

嫌なことや困ったことがあったら、
どうやって表現するかを知っていれば、
反社会的やマナー違反ととられる方法でなくても
表現できる人はいます。

そこに行かなければ、
その行動がなくなるわけではありません。
SOSを言えることは、
とても大切なことです。

SOSを適切な表現に
変更する支援をしていきましょう!
そして、経験することです。

経験でしか、彼らは正しい表現方法を
身につけられません。
万が一嫌なこと困ったことがあったら、
○○という方法でやってみようと促してから、
いつも通りの生活をし、
万が一そのような事態が
出てきたときに、
打ち合わせた方法で
表現できるチャンスを作ってください。

もし、うまくできたら、
「できたね!」と確認することです。
この方法でよかったのだと
認識できるようになります。

できなかったら、
「○○という方法ができなかったけど、
今度嫌なことが起きたら、
やってみようね」と促してみることです。

そして、そのあとも
外に出ていきましょう。
彼らの経験を奪うことは
解決にはなりません。