支援者って、自分を棚に上げているよなぁ



支援者が、
知的障害がある人たちに接しているときに、
なんで、こうも、支援者は、
自分のことを
棚に上げるんだろうなあと
思うことばかりです。

知的障害がある人を怒っているけど、
あなたも、同じことやっているよね?とか、
その気持ち、わからないかなぁとか、
それくらいのことで、
目くじら立てることじゃないよなぁとか、
自分だってそんなことされたら、
嫌じゃないのかなぁとか、
いろいろ思うのです。

自分がやっていることは
気にならないのに、
知的障害がある人が、
同じことをやると、
どうして気になるのでしょうね?

そして、批判ばかり。

自分は気づいていないのだろうなぁと思うのです。

たとえば、
廊下は走ってはいけないといいつつ、
急いでいるときに、
廊下を走っている先生のようなイメージ。

自分には、正当な理由をつけて、
「それをする理由があったのだ」
と主張します。

でも、知的障害がある人は、
あなたがしている
「それ」と同じことをして怒られ、
理由も聞いてもらえず、
もし理由を聞かれたとしても、
怒りモードの人(支援者)に対して
それをする理由が
うまくお話しできず、
結局、怒られっぱなし。

おかしな話です。

先ほども書きましたけど、
支援者は、自分が同じようなことを
通常の状態として、やっていることに、
気づいていないのです。

それに、知的障害がある人の
行動を監視してばかりだから、
重箱の隅をつつくように
指摘して回るのです。

まず、自分がしていることを
気づくことです。
そして、
このような自分の行動に
気づいた場合、
どう改善するかを
考えていくことなのです。
これはまず自分。
そして、相手です。

知的障害がある人の行動を
最初から否定しがちな人は、
その部分から改善していくことでしょうね。

どうやったら気づくか?

それは、
「何でそれをしたのかな?」
「誰かのマネをしたのかな?」
「自分はやっていないかな?」
などと、思う癖をつけることなのです。

わざわざ悪いことを
あえてしている訳ではないと思います。

支援者がやっているからいいだろう?
と思っているかもしれないのです。

最初から「評価」をしないことです。
直感で物事を考えないことです。

一呼吸おいてみましょう。

何でやってるのかな?と思った時に、
自分もやってるかな?
と思う時がありませんか?

その気づきが大切なのです。

そうすると、相手の気持ちが
見えてくるかもしれません。

でも、
その人がやっていることは
よくないことと判断したのであれば、
あなた自身もやめるべきですし、
知的障害がある人にも、
どんな支援をすることで、
やめていただけるかを
考えることにつながります。

怒ったって、
やめませんよ。
あなたもそうでしょう?

人のふり見てわがふり直せ。

そして、それを改善するためには、
どのように、ご本人に理解していただくか。

まずは謝るところからかもしれませんね。
支援者としての行動を。

最初に書きましたように、
様々な所で、
繰り広げられることです。

私自身もしてしまう可能性もありそうです。

常に、自分を振り返り、
人がして納得いかないような行動が
自分にあるようだったら、
あらためて、自分の行動を
改善するところから始めましょう。