55歳雑感:身の丈、この程度



ただいま2016年7月。
私も、55歳を超えました。

昔でいうなら、
もう定年の段階。

人の平均寿命も
昔々は55歳のころがありました。

そんな年齢になってしまったので、
この先に対して思うことはありますが、
多くの人が思っているような、
不安感は実はないのです。

死ぬにしても、
一人一人平等に与えられた1回だけですから、
その時が来るまで、
できることをして生きていくだけの余生です。
生き延びる気持ちはないです。

何かの時に、延命治療もする予定はありません。
余命期間が決まったら教えていただくつもりです。

何が起きるのか、
いつもわくわくしながら
人生という道を通ってきました。

嫌なこともありましたが、
それは、あとから考えると、
とても良い経験をしたと思っています。

病気になるとか、
人に騙されるとか、
後ろ指刺されるとか、
死にそうになるとか、
そういうことは、
なかなか経験できないことですから、
そういう経験をさせていただいたことは、
自分を大きくします。

いろいろな経験をすることで、
自分というものを形成するわけですから、
こんなに面白いことはないですね。

その時にはもちろん気づきません。
不幸のどん底に陥るでしょう。

でも、ゆっくり考えなおしてみてください。

違う解釈をしてみてください。

敵対視していた人も、
困っていた人なんだなと思えます。

身体の病気もそうです。
死にそうになるということは、
大けがもしましたから、
今や動かないところもあります。

できないことが、
どんどん多くなってきますね。
傷がつくと治りも悪くなります。
でも、それも、自分らしいと思っています。
人生の半分を過ぎたのですから、
もう死ぬ方向の
準備に入ってきているのでしょう。

持ちつ持たれつの世の中ですから、
私はできることをできる範囲で、
できるまで、
させていただきますが、
できないことは、
できる人がしてくれることで、
世の中成り立っているのです。

いろいろな人がいる社会ですから。

できないことは、
悔しくでも
淋しくでも
残念でもなく、
「そういうもの」と解釈をしています。

たとえば、もう、
私には、まるごとのカボチャは切れません。
腕が使い物になりません。
いいんです。
どこかでカボチャを食べたりすればいいことです。

そんなことを悔しくも思いませんし、
できるように頑張ることもしません。
だから、自分がカボチャを切れなくなっても、
そういう体になったんだなと思うだけなのです。

そう考えると、
やっぱりお金って大事ですね。
何かしらで、
お金があったほうがいいなぁと
考えられるようになりました(笑)

今までは、全く、
お金に頓着がなかったですけどね。
事業を進めるにあたっても
やはりお金は必要なんです。
老後のために、「継続的にお金を得る準備」は
しないとなりませんね。

そして、ものを整理し始めています。
シンプルに生きていくために、
これが一番大きな課題かもしれませんね。

さて、
身の程を知るのは大事なことです。
「身の丈、この程度」と
知ることだと思うからです。

背伸びはするつもりもないので、
できることだけ、
できる範囲で、
できるまでやるだけ。

私を必要としてくださる方のために
定年までは働きます。

そして、自分ができなくなった時には
そこで終了です。

そのあとの人に何も思いもありませんし、
私が出した発信物は、
どんどん活用していただければいいのです。

できなくなったとしても、
そこで終了することに悔いはないと
自分は思うのです。
それが明日でも。

あなたの支援に役立つかしら?、
今の自分の人生について考えていることを
伝えたくて書きました。

もちろん、まだまだ成長できる人は、
ますますのご活躍をしてくださいね。

人間、
力抜いていきましょう。
できることをする。
できないことは頼む。

そういうことでいいのだと思います。