あなたへの評価は必要ですか?



職業的支援者は、
その利用者を見て、
困っているところなどの
支援をしていくことになるのですが、
その際に、
その利用者ではなく、
何か別な視点をもって、
支援をしてしまうことがあります。

彼らは、もの言わぬ
存在です。

だからこそ、
あなたの心が、別なことに捉われていても、
彼らはあなたの支援を受けることになるでしょう。

あなたは、誰かに認められたいと思って
支援をしていませんか?

ちょっと考えてみてください。

彼らに認められたいですか?
上司に認められたいですか?
彼らの家族に認められたいですか?
世の中の人に認められたいですか?

誰かに認められたいですか?

認められるために、
どんなシーンを考えますか?

彼らの支援が成功し「すごい!」と
評価をしている人たちですか?
彼らの支援がうまくいかず、
疲れ果てた自分をねぎらう人たちですか?
自分の支援がうまくいって喜ぶ利用者ですか?
ご家族に感謝される自分ですか?
上司に認められて、頼られる自分ですか?

こうした、自分がした、
支援という仕事の見返りを、
求めているのではないでしょうか?

反応が返ってこないと
仕事をしたくないですか?

なにか、残るものが欲しいですか?

たくさん、自分に質問をして、
自分の本当の「欲」をかき出してみませんか?

障害者支援というものを通して、
自分が、ほめられたいですか?

ほめられることは必要ですか?

そうしないとやってられないですか?

淡々と、彼らの困っている部分だけに
焦点を当てて、
その困っていることに
支援しているだけではだめですか?

人間、ほめられないと
やる気は出ないのでしょうか?
認められないと、
前に進めないのでしょうか?

そういった欲は捨ててみて、
今、目の前にある、
彼らの「障害」を減らすことだけを
考えてみたら、
シンプルに、
支援がうまくいくと思うのです。

誰かに認められたいと躍起になったり、
自分の大変さを表現することで、
周りの人から、
「がんばってるね!すごいね!」と言われることに
快感を覚えていくと、
そういう周りからの評価がないと
進まないでしょうし、
周りの評価を得られやすいように
「自分」を作り出すことにもなりかねません。

さらに、そんなことをしていると、
周りに合わなければ仕事ができない自分になり、
人間関係での悩みも出て来ることにもつながりそうです。

もう一度聞きます。
あなたは認められたいのですか?
淡々と彼らに必要な支援をしているだけではだめですか?

自分は、この人を見る。

この人にとって最高の支援する。

周りにどんな評価をされようと、
気にしない。

そんな気持ちの持ち方のほうが、
あなたにとっても楽になり、
彼らにとって、
よりよい支援になりそうな気がしています。

*****

私は、よいものはよいと言いますが、
悪いものは悪いとはっきり言ってしまいますから、
周りの家族・上司と言われてきた人には
認められなかったことも多かったかもしれません。

でも、周りの人からの
評価を見ていませんでした。
常に、こころの中に辞表を持っていました。
だからこそ、苦言も行ってきました。
上司だろうと。

ひとりでもいい。
一匹オオカミですから。
だから、群れません。

周りの人のことは気にしていないので、
その時彼らが必要な支援ができました。

知的障害がある彼らは、私を評価しません。
ほめません。
認めているとも言いません。

そこに、自分は固執しません。

でも、明日も来てくれたら、
私はまたその人に支援をするだけです。

自ら去っていったとしても、
また何年かしたら来るかもしれません。
その時もただ迎え入れ、
その時必要な支援をするだけです。

必要とされればやる。
自分ができることならする。

彼らが大好きだから。
彼らに幸せになってほしいから。
困っている人は、放っておきません。

今日もすてきな支援ができますように。