今日は事例から行きましょう。
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私の名前はAです。
部下のBさんは、話を聞いても
5分くらいで終了します。
部下のCさんは、話を聞いていると
20分くらい話しています。
でも、Cさんが、Bさんに
「Aさんは、私の話を聞いてくれない」
と言ったそうです。
Bさんは、
「そう?そんなことないよ?充分聞いてくれる」
と思っています。
ただ、その思ったことは、Cさんにはせず、
上司である私に、
「Aさん、Cさんの話を充分に聞いてあげてくださいね」
と、言ってきたのです。
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さあ、この事例、
部下と上司という関係でお話ししましたが、
利用者と支援者でも
夫と妻でも
お友達同士でもOKの事例です。
なぜ、Bさんより長く話しているCさんから、
充分話を聞いてくれないと
いわれてしまったのでしょうか?
これは、
量より、質の問題なのです。
Aさんは、部下の話を
充分に聞いていないつもりもありませんし、
ましてや、Bさんの方は5分程度。
でも、Bさんは、
充分に話しを聞いてもらえていると
解釈をしています。
Cさんは、
長く話を聞いてもらっているのに、
そのことは知りませんし、
足りないと感じているわけです。
ここで、質というのは、
Aさんの方の「聞き方の質」もありますが、
Cさんの方の「気持ちの質」に関係してきます。
充分に話を聞いてくれた
と思えるのは
どういう瞬間なのでしょうか?
たとえば、話を途中で切ってしまったり、
「早くして」と言ってしまったり、
「そういうことね?」と、
わかったふうになってしまったり。
ただ話を聞いてほしかったのに、
否定されたり、
気持ちがここに存在しないように見えたり、
あ~面倒!という声が聞こえてきそうです。
主体は誰なのか?
そのことをなぜ自分に話してきたのか?
何を望んでいるのか?
そう思い描くことが
できますか?
そして、
もう終わりなの?
まだある?
他にはないの?
など、
話した内容以上の
話をしての良いよと促すような
環境を整えていますか?
そんなちょっとした工夫で、
充分話を聞いてもらえた!と
思える場合があります。
やってみてくださいね。
それから、
先ほどのBさんですが、
この方にCさんと同じくらい時間を使うと、
逆にウザったいといわれてしまいます。
Bさんは5分くらいで充分なようです。
人によって欲している「質」は違いますので、
お間違いのないように!