お金の価値がわからない



支援者の感情や考え方で、
知的障害がある人の行動を決めつけた時に
発する言葉があります。

「問題行動」などもそうですが、
この
「お金の価値がわからない」も
そういう時に使われます。

お金の価値。

教えなければわからないでしょうし、
だいたい支援者自身だって
わかっていないかもしれません。

この手の誰もが使うような、
それでいて、
具体的ではない言葉を使うことで、
支援者は支援をしたつもりに
なっているかもしれませんが、
この言葉を言ったところで、
彼ら知的障害がある人が、
お金の価値をわかる人にもなりません。

どういうときに使われる言葉なのか?

一例としては、
無駄遣いをしたと思われた時でしょうね。

では、無駄遣いとは何かというと、
それを思った支援者が欲しくないものを
その人が手に入れているときです。

例えば、
お酒を飲まない人から見た、
お酒に使うお金は無駄遣いですし、
お金の価値がわからないと思える。

ゲームをしない人から見た、
ゲームに使うお金は無駄遣いですし、
お金の価値がわからないと思える。

こういった、
支援者の価値観によって、
お金の価値が決まり、
その人の慣習の悪さと
決めつけるのです。

これは、
支援者と知的障害がある人だけの
関係性ではありませんね。

2人以上の人がいれば、
こういった論点は
持たれると思います。

AさんがBさんに思ったように、
BさんがAさんに思うことなのです。

つまりは、
人は自分を基準にして、
相手の良しあしを
決めているということでしょう。

そして、よくないと
思ったことを注意したり、
介入したりするのです。

さて、このような時は、
いろいろな誰もが使う言葉で、
相手に言っても何も響きません。

本当にお金の使い方を支援者本意ではなく、
自立をそぐ場合には、
彼らにイメージしやすい言葉で解説をして、
イメージしやすい方法を
伝えることです。

支援者は、
かっこよい言葉を
使いたくなる傾向が強いので、
彼らにわかる言葉を使いましょう。

自立のために
どうなってほしいと思ったのですか?
その人のニーズは何ですか?

立ち戻るべきは、ここです。

そのための
お金の使い方です。

支援者から見たらどんなに
無駄だと思っても
その人にとっては、
価値あるオアシスかもしれませんから、
言葉を投げ捨てるようなことは
避けるべきです。

そして、あなたが無駄遣いだと思ったのにも
何か理由があるのでしょうから、
そこを改善するために、
別な部分に目を向けてみることもしてみましょう。

お金の価値をわからせようということよりも、
お金の使い方ややりくりを
具体的に
支援することです。

実際に使いすぎて、
お金が無くなったなとか、
これに使わず、
別なことに使えばよかったなと
ご本人が思える瞬間が、
「無駄遣いだった」が
わかる瞬間となるでしょう。

私たち支援者が言葉で言っているだけでは、
ただのお小言になってしまい、
彼らは私たちに隠れて
するだけのことになります。

そのお金の使い方が、
その人の自立をそぐものであるのなら、
相談をしながら一緒に考える時間を
多く持つことだと考えます。

支援のしどころを
よく考え、
ご本人がここちよいと感じる
関わりにしていきましょう。