知的障害がある人は、
特別支援学校などを卒業し、
福祉施設に入る人も多くいらっしゃいます。
特別支援学校を卒業する
ということは、
大きなポイントになっており、
そこからどの方向に
向かうのかと、
将来を一番考える時では
ないでしょうか?
今、知的障害がある人の将来を考えるポイントは、
特別支援学校からどこに行こうかという進路の他に、
グループホームに入ろうか、
入所施設に入ろうか、
などの住まいの選択と
就職先はどこにしようか、
生活介護施設に変更しようか、
などの働く場や活動の選択といった、
変化を想定したポイントになることが多くあります。
その人の現在の施設や生活や
それを支える支援者(家族)の状態などに
大きな不具合がなく、
この施設のままでよいと思っている状態ですと、
次の進路というものは、
何も考えずに、
何年、何十年と過ぎていくことになります。
ですから、
多くの利用者、家族、職員が、
利用している施設での過ごし方や暮らしは、
次を想定していない状態ではないでしょうか?
自分自身の変化や、
親の変化など、
または、職員の対応や活動の内容など、
何かに不具合があり、
今いる施設や居場所以外のより良いところを
探しているという状態であれば、
今に不具合があると言うことなのです。
不具合がない
という利用者の人が多すぎるくらい存在するので、
施設の職員も、
次を想定した支援を
考えていないのだと思います。
そういうことを考えるのはいつも急ですよね?
一番多いのは家族が見ることが
できなくなった時でしょうか?
次を想定していなければ、
自立の目的も何も、
思い浮かべられず、
毎日を単調に過ごしたり、
ずっとここにいるのだろうからと、
なんでも職員がやってしまう状態で、
ご本人も、そういう意識をしていないため、
「将来のために、○○という支援をしてほしい」などとも
言わないことでしょう。
私たち支援者は、
この状況に、
毎日ただただ過ごしていただく事だけを
想定してはいないでしょうか?
自立とは程遠い支援が行われていませんか?
不具合があるから、
次の場所を「思い浮かべるというのは、
どうも消極的な変化だと思うのです。
現実を見てみましょう。
彼らができないことを彼らのせいにして、
何か事が起きれば、注意をし、
それで「支援」をした気になってはいませんか?
ひとりでできるのに、
職員がやりすぎてしまい、
彼らに経験もさせない施設ではないですか?
ただ単に楽しい活動だけを提供し、
自分で考えたり、
自分で創りだす事には、
大変さや辛さがあることや
その先に楽しさが待っていることも
知らないのではないでしょうか?
働ける人であれば、
働くことを提供したいところなのに、
経済活動につながっていないという状態では
ないでしょうか?
支援の求め方も教えていない状態では
支援を求めることもできないことを
わかっていますか?
健康でいることの大切さは、
彼らにとってもできるだけ理解することが
大切なことだと認識していますか?
なんでも、生活保護になればよいと思って、
お金の使い方を無頓着な状態にさせていませんか?
ひとりで生活をするということは、
想像できていますか?
人との関係性を持つための方法は、
支援ができていますか?
色々な場面がある施設の中で、
色々な支援ができるのに、
現状に満足しているからと
次のことを何も考えずにいるのではないでしょうか?
自立を考え、
自分で選択し、
自分で決定することや、
嫌なことを嫌といえること、
困ったことがあったら、
困っているといえること。
そのようなことにつながる支援をしているでしょうか?
彼らは、ずっと私たちといるわけではありません。
あなたが去った後にでも、
自分でできることを持ち、
自分の可能性を感じ、
こんなところにいたくないよと思える施設もまた、
良い施設であるかもしれないのです。
施設のいう居場所に固められている彼らは、
人として権利は充分に持てている状態でしょうか?
あなたに、障害があった時に、
こういうところにいたいでしょうか?
このまま固めていてよいのでしょうか?
自立ってなんだろう?は、
そのような意味も含め、
もっともっと大きなところから彼らを見て、
この支援でいいのか?
と支援者自身が、
常に、自問自答するべきなのではないかと思うのです。
明日のことを考えましょう。
明日の彼らのことです。
10年後、
30年後、
彼らは、同じ施設にいてよいのでしょうか?
長い人だと50年以上も同じ施設にいる人も
いるような状態です。
自立を考え、
彼らの強みが活かせるように、
将来の彼らを思い描きながら、
今日の支援をしませんか?
課題だらけであるなら、
あなたから変えるしかないのです。
彼らの人生の主人公はかれらなのです。
何から、自立につなげるのか、
立ち止まって考え、
進みましょう。