○○をします。
○○したいです。
そんな言葉が並んで、
支援者もその言葉にあることを実現するために、
サービス等につなげようとする。
でも、実際につなげてみるけど、
続かない。
すると、続かない理由を言い、
△△があるから、できないんだとなり、
他なら大丈夫かもしれないと言い出す。
ご本人も積極的に動き、
それに対して支援者も動く。
就職したいんです。
みんなと一緒に居たいんです。
施設に行きたいんです。
働きたいんです。
お金ほしいんです。
そういう言葉を並べることが
あたりまえ。
そして、また、
△△の理由があるからと、
自分以外に理由をつけて、
私はやる気もあるし、
がんばっているのにできない・・・
と支援者に印象づける。
支援者が見抜けないと、
実現させたい気持ちが強く、
支援が終わらない。
こっちなら大丈夫?
もっといいのを見つけるからね!と・・・
さて、支援者のみなさん。
主訴とニーズは違うことも多いのです。
この言葉の裏に隠された本人像。
本当に、それをしたくて言っているのか、
違う理由があって、
○○したいといっているのか。
こういう続かない人に、
「したくないこと」を
聞いたことがありますか?
がんばっている自分を
見せたいようですが、
「○○したくない」は、
聞こえてきますか?
「○○したくない」といえば、
自分はダメな人と思われるのではないか?と、
その人は考えていませんか?
がんばっている自分でなければならないと
考えていると、
がんばる自分しか
見せられないようです。
そこに、惑わされ、
引きづり込まれていませんか?
がんばらなくてもよいのです。
○○は嫌といってもよいのです。
本当は○○したくないといえる人となれるよう、
その人を支援をしてみたことはありますか?
私たちは、
常識で物事を考えてはいけないですし、
知的障害がある人は、
「**しなければならない」とも
考えなくてよいですよね?
その人の人生、
その人らしく、
リラックスモードで、
生きていただくためには、
「嫌」
「やりたくない」
という気持ちも
持って良いことも
伝えていきませんか?
その人は、
「嫌」とか、
「やりたくない」とか、
言ってはいけないと
思っているかもしれないのです。
やる気を見せなければならないと
思っているかもしれないのです。
その人自身が、
続かないことを、
あれこれ続けようとして、
「良い子」を演じているには、
何か理由があることでしょう。
そこを見抜くには、
サービスを用意するのではなく、
その人に質問をしていき、
その人が自分で、
「自分はこういう人間なんだし、
それでいいのだ」と
答えを出せるようにすることが
本当に必要な支援かもしれません。
あなたが目の前に出される、
やる気充分の言葉(主訴)に翻弄されず、
その人の本質(ニーズ)をつかみ、
「それでいいんだよ」と
言うことができる
支援者となりましょう。