正しい教材としての自分を位置づけよう



私たちは教材である。

そう思いながら、
私は仕事をしている部分があります。

私が正しいことをすれば、
彼らにも正しいことを伝えられるからです。

たとえば、私が赤信号を渡ったり、
エスカレーターで歩く事はしません。

自分は、それが正しいと思っているからです。

そして、その行動を彼らは、
見ていくことになります。
支援者がしていることを見ることで、
彼らは正しいと思い、
真似していきます。

ですから、自分が教材でいるべきだと
思っているのです。

支援者がしていることを見て、
真似をしますが、
その中から正しいことだけを抜き出して
真似をするわけではありません。

これは、支援者が良いと思おうが、
悪いと思おうが、
支援者がしていることを
真似る傾向があります。

つまり、支援者が悪いことをしても、
「支援者がやっているから
正しいこと(真似するべきこと)」
という認識で真似をします。

たとえば、施設内で、
職員がある利用者のことを注意すれば、
その様子を見ていて、
あの人は悪い人という
認識になる傾向があります。

ですから、その人を職員の代わりに
注意する場面がみられることもあります。

叩けば叩く。

ほめれば、ほめる。

まるで職員がやるように、
対応をします。

そういう意味でも、
私たちは気をつけて
行動しなければなりません。

また、彼らは、自分から経験するより、
経験する場を与えられることの方が
多いのではないでしょうか?

遊びにしても、料理を食べるにしても、
何かから自分で、
新たな経験をしたいと思って、
探し当てて経験するよりも、
誰かから、経験する機会を
作ってもらうことの方が
多いという意味です。

ということは、
場数を踏まなければ、
彼らの経験は増えていきません。

ですから、支援者は、
自分のしたい行動の
ことだけ考えて、
日々生活するのでは、
不足があると思うのです。

彼らに見られている。
彼らは私たちの真似をする。

そういう認識を持つべきです。

私たち支援者がやっていることを、
彼らが自分で判断して、
支援者が間違っているから、
真似しないようにする
というのは、難しいことです。

ですから、私たちは、
責任を持って、
自分の行動をするべきです。

見られて、真似をされることを前提に、
日々の行動をしてみてください。

この観点を前提に、
彼らには、
たくさんの経験を
していただきましょう。

経験することで、
彼らの生活の幅は確実に広がります。

真似をすることで。経験も増えるのです。

何が、自立に向かうかは、
まだまだ未知数です。

それでも、経験しなければ、
経験値が上がらない訳ですから、
私たちが彼らの経験値をあげる場を作り、
自立につながる何かを
つかみとっていただきたいと思うのです。

できる限り正しい情報提供し、
彼らに経験していただき、
彼らの生活に役立てていただく。

自分自身を教材として、
自立を支援しませんか?

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