どうしても利用者の人に
よけいな質問をしたり、
話かけたりしている人が多いようです。
給食を食べながら、
「おいしいですか?」
たまになら良いのですが、
毎日聞かれたら、
いやだろうなと思うのです。
しかも、支援する職員が入れ代わると、
同じ日にまた聞かれたりして・・・
自分が聞かれつづけたら、
嫌じゃないですか?
もう、利用者の人たちも、
社交辞令のごとく、
「おいしい」としか
言えなくなるのではないかと思うのです。
「たのしい?」
という質問もありますね?
毎日楽しいことばかりじゃないですよね?
でも、自分たちが用意した活動を
認めて欲しいのでしょうね。
楽しんでくれなかったら困るのでしょう。
このように、
人は、自分がほしい答えの
質問をする傾向があります。
「おいしい」といってほしいし、
「楽しい」といってほしい。
結局は、
「あなたが支援者でよかった」
といってほしい。
場を持たせようとして
話しかけることもありますね。
黙っていればいいところで、
どうしてのも話しかけないと、
支援をしていないような
気になってしまうのでしょう。
私はちゃんとやっているという
アピールなのでしょうね。
口をもぐもぐさせている間にも
「おいしい?」と聞かれたら最悪です。
嫌な活動の最中に、
「楽しいよねー」と、言われたら嫌ですよ。
その関わりは、
あなたが主役ではないのです。
利用者を主にすることです。
あなたは気づいていないかもしれませんが、
あなたが主役になってしまう場面が
どうしても多くなります。
利用者主体とは、
話かけられ続けることですか?
関わっていれば、
彼らが主体だと
思われるかもしれませんが、
それは主体ではないです。
ひとりで静かにいる時間も大事です。
だれからも話かけられない時間も大事です。
支援者は待つということも大事です。
見守ることも大事です。
「主体」の意味を
とらえなおしてみてください。
そして、
あなたの関わりの狙いを
考えてみましょう。
あなたが関わったことで
得られるものは、
彼らにありますか?
それとも、自分にありますか?
そういう確認をすると
わかりやすいと思います。
「自立」を意識して、
声をかけているのか?
自分の立場に優位になるように
声をかけているのか?
そして、声をかけない効果や
見守りをすることの効果も
確認してみることです。
ビックリするほど、
自立に向かっていく人や、
相手から話しかけてくるなど、
彼らの意外な面が出てくると思いますよ。
単に関わりを持つだけでなく、
意味を持って声をかけたり、
意味を持って声をかけない。
彼らが彼らの人生の主体となり、
自立に向かえるよう、
自分自身の行動を見直し、
支援の変更をして行きましょう!
初めまして。23才、自閉症の娘がいます。
娘はまさにこの食事の声かけが負担で、外で食事が出来なくなった時期がありました。
そのために、日中一時やショートステイの利用が困難になり、就労の際も、食事が取れないからという理由で、断られたりしました。
支援側は「些細なこと」
でも、本人から見れば、何回も、なん十回も言われ、傷ついて、他のこともできなくなってしまいます。
「些細な積み重ね」が、どれだけ負担になることか、一人でも理解してくださる方が増えればと願います。
また、今回のお話を読んで、理解してくださる方がいたことが、とても励みになりました。
長文失礼しました。