私たち職業的支援者は、
その方と接し、
ニーズをつかみ、
良かれと思う支援をしていきます。
利用者の皆さんが、
意見を持たないときもあるし、
応え方がわからないときもあります。
彼らが、はっきりと、
これをしてほしいと言わなくても、
その人に対し、支援をするという、
あいまいながらも
必要なことだと思って支援をしているのです。
だから、
「この支援が正解」という
はっきりしたものがない部分に対し、
これが必要なのではないか?と、解釈をし、
この支援でやってみよう!と
支援をしていくわけですから、
もちろん、すべてが最初から
正しいということでもないというのが
前提にならざるを得ません。
つまり、間違った支援をしている可能性が、
あるのです。
そういった間違いをする私たちですから、
もし、間違いがわかった時には、
変更をしていくことになります。
その変更していくことが
あるかもしれないということを念頭に、
自分たちの支援が間違っている場合は、
いつでも、
彼らと確認しながら、
修正していくことになると思っています。
そのために、
個別支援計画などで、
確認を得ていることもあるでしょう。
さて、そんな職業的支援者の私たちが、
間違いをしたときに、
批判をされることは
よくあることです。
何であんな人が、
支援者になったのだろう?
と投げかけられることも
多々あります。
だいたいが、
ご家族からの批判となります。
先にも書きましたように、
私たちは、
迷いながら、
よりよい支援をしていこうと
努力をしていることも、
全否定されるかの如く、
嫌われるわけです。
なぜか?
プロは間違わないでしょ?
プロならわかるでしょ?
そういうお気持ちなのでは
ないでしょうか?
はたしてそうでしょうか?
たしかに、
この支援という仕事をしたその日から、
職業的支援者は、
プロです。
では、プロは間違っては
いけないのでしょうか?
プロがすることは、
いつでも正しいのでしょうか?
この仕事をしている限り、
最後の最後まで、
正解だけでやれる支援者は、
どなたもいらっしゃらないです。
断言します。
ですから、
何が正解かわかりにくいところで、
正解を求めて、
彼らに、よかれと思って
やっている支援者を
嫌っていくことで
よいのでしょうか?
彼らのためと思ってやっていても、
神業でできるわけでもなく、
その日その日の状態に対して支援をするので、
間違った解釈や間違った支援をすることは、
あるののはなぜか。
こころが見えないこと。
それに尽きるのではないでしょうか?
人間同士、どんな人同士でも
こころは見えません。
その中でさらに、
正解もわかりにくいのです。
ですから、
その人を嫌いにならないで
いただきたいのです。
あなたの意に反したことを
やってしまった
職業的支援者その人自身を
嫌ってしまう傾向にありませんか?
職業的支援者自身ではなく、
その人のやったことは
嫌っていいと思いますし、
ご指摘いただいてよいと思います。
でも、その人を嫌いになってしまうと、
何であんな人が、
支援者なのか?ということに
行きついてしまいます。
解決するためには、
他に求めるだけになってしまいます。
罪を憎んで人を憎まず
ということをお願いしたいのです。
各事業所でも、
職員の資質向上を掲げ、
様々な研修棟等は行っているところですが、
まだまだ効果的ではないかもしれません。
きっと不備は感じられることでしょう。
それが、福祉の現状です。
でも、自分自身を向上させ、
知的障害がある人に
よりよい支援をしていきたいと
考えている人がいるのは事実です。
あなたがダメだと思う支援者がいたら、
嫌うのではなく改善を求めてください。
アイデアを出すのもいと思います。
それに、相手の気持ちを確かめることも
よいと思いますね。
しかも、同志としてです。
あなたのお子さんを
よりよい支援をするための同志として、
考えてみてください。