手がかからず、
それなりに自分でできる人。
暴れるわけでもなく。
大声出すわけでもない。
目立つこともなく、
話しかけなくても、
おこりだすこともない。
作業や活動は、
職員の言うとおりにし、
途中で、困ったことがあるわけでもない。
利用者の様子を
打ち合わせ等で話し合い、
支援の改善をしなければならないことが多くある中、
上記のような利用者の方は、
話題にも上らず、
だから、印象も残らず、
ケース記録も
書くことも見つからず。
施設の中で大きな困難もなく、
流れに乗れるので、
困っている感じも本当に少なそうです。
職員は、支援度合いの高い人中心のため、
この方の課題をつかみとることができません。
後回しにしていることもあるでしょう。
自立しているように見えてしまうんです。
でも、もっと関わり入れたら、
もっと違う人生が待ち受けているかもしれません。
知的障害の人は、
自分がものすごく困っていない人も多く、
自分の困難さをわかっていない可能性もあります。
ですから、職員はいつもと違った関わりをしてみるべきです。
そのために、
あなたはもっとその人を見て欲しいのです。
本当に、支援が必要ない人なのでしょうか?
あなたの関わりは、
その人が自立に向かえる関わりでしょうか?
たとえば、
自分の思った通りにしてもいいよ。
好きな仕事をしてもいいよ。
新しい仕事にチャレンジしようか?
決めていいよ!
今度どこに行こうか?
などなど、職員の敷いたレール以外の道を
選んでいただいてもいいと思います。
そうするとできないこともあるでしょうから、
支援はおのずと必要になります。
また、例えば、行事などの時に
不具合を見せることもあります。
つまり、施設の中では、
その人にとっては、
わかりきっていて、
何も支援が必要に見えないから、
なんでもできると勘違いしてしまう方なのです。
社会は、すべて整理されているわけではありません。
施設で経験することだけで
社会の中では自立できないことが多くあります。
特に自己選択や自己決定。
お金の問題。
薬の管理。
コミュニケーション。
などなど、
そこで、見えなかった困難さが表出するためにも、
施設の中で、もっと変化のある関わりを入れてみませんか?
場面設定の支援のうちですからね。
整った中で支援をしていると、
支援者自身が、
これでいいと思い込んでしまう危険はあります。
見えないところで、
支援が必要かもしれませんから、
そこは支援者側から、
ゆさぶりを入れてみることも
考えてみましょう。
施設の中だけの視野で無く、
その人の人生も考えつつ、
関わりを持ってみましょう。