生きる力を身につけてほしいと願い、
彼らの支援を何十年も続けているわけですが、
その前には、「自立」という言葉があります。
いやね、人によっては、
一緒の言葉かもしれないけどね。
「自立のため」という、
ミッションを
時々忘れる方がいます。
手を出しすぎたり、
かまいすぎたり、
できることを、やらせなかったり、
やりたいと願うことを、否定したり、
失敗することの経験をさせなかったり、
人が人として、当たり前にしていいことを、
私たち支援者は、
彼らのためだと思って、
良かれと思って、
経験させないことがあります。
単純明快に楽しいことだけに固執したり、
作業なんかさせたら、
かわいそうだからと言ってみたり、
嫌なことをすべて隠したり。
社会に生きる人は、
すべて、そういうものを
自分で何とかしようとします。
嫌なことだって起きます。
その回避だって自分でします。
さて、知的障害者だからと言って、
「いいことばかり」
「心地よいことばかり」で
よいのでしょうか?
あえて、悪いことや苦しいことを
経験させるということではなく、
やってみて、嫌だったということは
あっていいと思うのです。
そういうことがあると、
もうやらないようにしようと思ったり、
やり方を工夫したりできるわけです。
もちろん、SOSが言えることも大事です。
それこそ「生きる力」の基本です。
生きる力とは、
応用の部分なのでしょうか?
自分にも答は出ていませんが、
そこに向かっていると思っています。
一つ一つの動作などが自立できても、
生きることには、つながらないような気がします。
その自立した様々なことを組み合わせたり、
できなかったら人に頼むとか、
応用利かせてみたりしないと、
日々、生きるにはつながらないと思うのです。
きれいごとではないし、
生活をするって本当に大変なことです。
日々を組み立てなければなりませんから。
自立。
生きる力。
同じかもしれないけど、
自立支援施設にいただけでは、
生きる力は身につかないと思います。
だって、そういう支援をしていない。
だから、私にとっては、
「自立」と「生きる力」は同じように
見えないのかもしれません。
生きる力を身に着けていただくためには、
支援も、いろいろな場面を想定し、
そこを切り抜ける術を
ご本人にわかりやすくしていくことです。
10人いたら10通りの人生です。
生きる力。
頭の隅に置きながら、
「自立」も考えていただけると
いいのではないかと思うのです。