施設の中では、仲良くしないとだめですか?



知的障害がある人の支援者の中には、
楽しい雰囲気を好む支援者が多くいます。

大きな机を囲むように座らせていることを
当たり前としてみたり、
みんなで一緒に何かをすることだけを良しとしたり、
「楽しい?」などと必ず聞いたり、
笑っていたり、仲よくすることを
個別支援計画に掲げるような場合もあります。

そういう雰囲気の方が、
支援者も楽しいでしょうし、
支援をしたという充実感が
得られるのかもしれませんが、
果たしてそういうことだけが、
当たり前になってよいのでしょうか?

たしかに、知的障害がある人の施設は、
このような形を長年続けてきました。

そのせいか、
利用者同士が仲良くなるべきと考える施設が
当たり前のところも
多くあるのではないでしょうか?

仲良くするということも、
友達を作ると言うことも、
全て同じ施設の中にいるのだから当たり前とし、
そのほうがその人の人生は楽しくなるはずと
思い込んではいませんか?

でも、支援者が、
思っているだけで、
ご本人たちは、
「この施設には、友達になれそうな人なんかいないよね?」
と思っている人も多くいるのです。

例えば、
私たちの職場の職員同士でも、
仲が良くなければ、
仕事ができないと思っている人も
いるかもしれませんが、
そうではないですよね?

たぶん、昔からの流れ。
今までがそうだったからという、
そのことは必要なのか必要ではないのか
何も考えていないからこその
支援者の悪しき慣習ではないでしょうか?

彼らは、
自分たちで、
話をして、
意気投合して、
仲良くなる人もいます。

それこそ、
言葉がなくても
フィーリングというか、
初めて会った日から、
仲良くなる人もいますね。

でも、どんなに長く一緒にいても、
嫌いな人は嫌いですし、
相性が悪い人もいるのです。

もちろん、知り会うための場を支援者が作って、
そこで、他の利用者のことがわかる人もいますし、
そういう場を作っても
やっぱり、
仲良くなれない人もいます。

個人の感情を
受け止めてもらえず、
毎日が支援者によって、
嫌な生活を作られていたら、
いかがでしょうか?

つまり、施設というのは、
嫌いだから離れていたい気持ちを持っていても、
「嫌ってないで仲良くなりなさい」
「仲良くすれば楽しいわよ」と
いいたいようで、
仲良くなるよう仕向けられるのです。

その人にとっては、
嫌だろうなあと思うことは
多々あります。

嫌な人とは離れたいと思いませんか?
嫌な人とは仲良くなれません。

もちろん、
自分で仲良くなれる要素が見つかったりすれば
自分たちから仲良くもなるでしょうけど、
いつもいつも一緒にいれば
そこが見つかるというものでもないでしょう。

もちろん、その人が、
その空間にいることを
知ることから始めますが、
仲良くならなくても
施設での活動はできるわけです。

同じことを同じように
感じなければならないのでしょうか?
それに反発してはならないのでしょうか?
一人でいてはだめですか?
嫌いな人を嫌いといってはいけませんか?
何でも集団と同じことをしなければならないですか?
自分の好きなことをしていてはだめですか?

このような質問をされたこともないでしょう?

彼らの中に、
「仲よくしない」を選び、
集団から離れている人は、
みんなの中に行くように言われ、
今は○○の活動をする時間だからと
強制され、
苦痛の毎日を送っている人もいるのです。

あなたが良かれと思っていることを
どの利用者からも直接、
嫌だといってくださらない状況であれば、
それもわからないかもしれませんし、
施設はこういうふうにするべきだと思い込んでいれば、
彼らのSOSには気づかないことも
あるのではないでしょうか?

本当に仲良くしなければならないですか?

あなたに課題はもう投げられています。

仲よくする意味を
もう一度考えてみてください。

不要な人には不要なことです。
もちろん、
必要な人には必要なことです。

それを、全て、
「必要」と捉えない、
一人ひとりが主人公になれる支援を
展開していきましょう。