自己選択・自己決定の支援が間違ってはいないか?



自己選択・自己決定。

支援者として、
こういう場面は積極的に作るべきと思って、
場面を設定して、
取り組みをしている事業所もあると思います。

人権に配慮した取り組みとして、
位置づけていることでしょう。

ただ、その際、よくやってしまう間違いがあります。
自分たちとしては、
きちんと自己選択・自己決定場面を
作っていると思っているはずです。

でも、以下のような関わり方を
してはいませんか?
視点を変えて、
少し見直してみませんか?

こっちの方がいいんじゃない?
支援者が
「(あなたのためには)こっちがいいんじゃない?」
と言う気持ちが前面に出てしまうと、
こういう誘導になってしまう事があります。

支援者が選んでからその情報をご本人に提案して、
ご本人がそれを選んだから
自己決定をしたと解釈をしていないでしょうか?

それを選んだのだから、責任を持たなければダメ!
選んだあとに間違いだったことに
気づくこともありますよね?
それに気づき変更をしようとしたときに、
「自分で決めたんだからダメ」だと
あしらっていませんか?

決定するもののメリット・デメリット情報を流さない
決定しようとしたときに、
そのことのメリット・デメリットなどの情報をご本人に伝えず、
ただ表面的なことで選ばせようとしていませんか?

みんなが選んだものだからと選ばせる
「みんなが選んだから、楽しいよ!」など、
支援者側は、多数決を重視して、
その人も集団に合わせさせて自己決定とさせていませんか?

急いで選ばせる
「時間がないよ」と追い込んで、
早く決めるように仕向け、ご本人にとっての
正しい判断ができないような状態にしていませんか?

つまり、ご本人が、
自分の選びたい気持ちで選べない状態を
支援者が作り出し、
そのうえで選ばせ、決定させ、
一度決定したのだから、
あなたが責任を持ちなさいねという形で、
追いやるような関わり方です。

これは、関わりと書きましたが、
単なる関わりであって、
支援にはなっていませんし、
関わりとしても、
良い関わりではなく、
人権侵害にもなる関わり方です。

でも、支援者から見たら、
自己選択・自己決定ができたね!
良い支援をやったね!とイメージしていて、
ご自身の間違いに
気づかないのではないでしょうか?

あなたがやっていたのは
単なる関わりで、
自己選択・自己決定にはなっていないことを、
今、あらためて考えてみて、
ご自身の間違いに気づかれたでしょうか?

自己選択・自己決定に至るには、
情報の出し方や
選ぶことに対しての配慮が
必要ですし、
ご本人主体とは?という視点がとっても重要なのです。

たぶん、あなた自身は、支援を受けずに
様々なことを選び決定していると思いますが、
たとえば、あなたが、もし支援を受けた時に、
自分が正しく選択できたり決定できない場合を
想像してみていただきたいと思うのです。

そういう状態にさせている可能性の中、
本人主体といえるのでしょうか?

あなたの関わりが、
より良い機会になるよう、
あらためて、
自己選択・自己決定の
支援の仕方を
考えてみることをお勧めします。

もちろん、これについては、
ひとりで考えるより、
複数の人でアイデアを出し合ったほうが
良いと思われます。

今以上により良い支援をめざし、
間違った支援が日常化しないように、
改善をしていきましょう!