知的障害者支援者として 死にどう向き合うか



知的障害がある人と関わっていると、
いつしか、彼らが「死」を迎える時があります。

長く関わっていればいるほど、
また、関わっている人が多ければ多いほど、
私たち支援者は、
その瞬間に出会うことになるでしょう。

それが、
いつなのかもわかりませんが、
私の関わってきた人たちは、
大病をして、
長く入院をしてという人より、
急に、まさかあの人が?という形で、
この世を去ることが多いように
見受けられます。

ですから、
こころの準備もなく、
突然、逝ってしまう事に、
喪失感を覚える人もいるでしょうし、
自分がもっと良い支援をしていたら、
こんなことにはならなかったろうと
自分を責めるようなことを考える支援者も
少なくありません。

こればかりは、
事が起きた後に
思い込んでしまうことですし、
事前に、何かができることはなかったのかもしれませんが、
そういうことが起きた時に、
自分を責めることを続けてよいのでしょうか?

今までの支援という関わりを、
一生懸命やった人や、
充分な関わりをした人ほど、
この喪失感があるよう見受けられますので、
ここは、どうか、
その人の死を
自分の支援の足りなさに結びつけることは
避けてほしいと思うのです。

その代わり、
その人への支援で足りなかったなと思ったことや、
こうしたほうがより良かったと思うことは、
今関わっている別な人や
これから関わる人に対して、
充分に支援を展開していきましょう。

私自身が、
彼らの死を経験をしてきて、
自分の支援がもっと早めに効果があれば、
その人は死ななかったのではないかと思う
亡くなり方をしている人がいます。

その事実は、いまだに忘れませんが、
自分を責めることではなく、
これからの支援に役立てようと
気持ちが切り替えました。

そのために、
知的障害があっても、
少しでも自分の健康に関心が
持てるような人になってほしいと願い、
今でも、関わりがある人には、
支援をしているところです。

でも、中には、
理論はわかっていても、
行動に移せず、
結果的に不健康でいる人も
いるわけです。

特に一人暮らしをしている人には、
「わかっちゃいるけどやめられない」ということで、
健康を害する要因を取り除けない人もいます。

何でもかんでも、
支援者ができることばかりではなく、
結果的にどうなるかもわかりません。

早く亡くなるかもしれませんし、
不健康な生活をしていても長生きする人も
世の中にはたくさんいますから。

同じように、死というものもまた、
私たちの力で、
全て何とかなることだけではないのです。

そのような時を考え、
彼らの人生と自分自身のしてきた支援を
切り離しができる自分を
持つことをお勧めします。

彼らの死によって、
自分自身を責めるようなことにならないよう、
その時その時の支援をしていくことだとは思いますが、
その人自身にのめり込み過ぎず、
少し距離を置きつつ、
日々の支援をすることから始め、
いつか終わりが来ることも考えておくことです。

人は亡くならないのではないです。
あなたと関わっている最中にも
亡くなる可能性もあります。

その時に、
どういう自分でいるのかは、
亡くなってから決めることではなく、
今、ある程度を決めておきましょう。

まだ、彼らの死を目の当たりにしたことがない人は、
そんなことは考えられないと、
目を覆いたくなったり、
考えない様にしたりしてしまうかもしれませんが、
その事実を否定したり、
後回しにしないことです。

冷たい人間に思ってしまうかもしれませんが、
そうではありません。

死と言うことを目の当たりにする前に、
自分は、まきこまれないように
そういう事実があった時の自分を
考えておくと言うことです。

あなたを守るためでもあります。

その人がなくなっても、
あなた自身はあなたでいることです。
そして、他の利用者は、
他の利用者の人生がありますので、
その日もまた支援は続きます。

悲しんでいるのは心の中で、
日常は一人の人が亡くなっても、
残念ながら何も変わらない可能性もあります。

そういう一つ一つの事に、
翻弄されず、
その日のするべき支援をしていきましょう。

あなたは、その人だけの支援者ではないのです。

その日が来ることを予測し、
もし、どなたかが亡くなったとしても
自分を責めず、
顔をあげ、
その日、するべきことをしていきましょう。