この人ってこんな人。
自分は、こういう人間だけど、
あの人は、あんな人。
「この人」「あの人」を考える時、
自分の基準の中に入らない人は、
「嫌」というくくりに入り始めることがあります。
例えば、その人と接する時に、
自分の嫌いな感覚を持つ場合、
その人の生活習慣とか考え方とか、
いろいろです。
厳密に言うと、
「その人が嫌い」と思うことは、
「その人がしていることが嫌い」
「その人の考え方が嫌い」
であって、その人が嫌いなのではないのです。
さて、その「嫌い」の感覚の中に
障害がある人との関係性の何かが気に入らず、
その人(障害者)を入れる人もいます。
そして「障害者だから嫌い」
という言い方で使っているのです。
一般人の中に嫌いな人と決めたのは、
先ほども書いたように、
あなたとその人の違いの中で
あなたが嫌いな言動などがあるからであり、
それと同じように考えた時に、
障害がある「その人」の言動が嫌いならわかるのです。
「障害者」がすべて
同じ言動をするわけでもないと思うのですよね。
もちろん、障害者の中に
あなたの嫌いな言動をする人もいますでしょうから、
その人を嫌いな感情が
生まれることもあるかもしれません。
「障害がある=嫌い」という感覚を
すべての障害者にあてはめるのではなく、
障害者の中で、好きな人もいるけど、友達もいるけど、
「あの人は、私とあわないな」はあると思います。
もし「障害者」というだけで嫌いと
思っているのであれば、
今まで、直接、接したことが、
ほとんどない可能性も
あるのではないでしょうか?
たとえ、接したとしても、
集団で会ったくらいのものではないでしょうか?
例えば、知的障害や自閉症の人であれば、
こっち見ていつも笑ってるとか、
予測不能な動きするとか、
あーと叫んでいるとか、
いろいろ「何?」と思うようなことはありますよね?
その意味がわからなければ、
あなたは、その人と近づこうとしないでしょうし、
嫌いという部類に入れておいた方が
安心になることもわかります。
でも、その意味がわかれば、
きっと、その人は辛かったんだろうな?とか、
助けたくなった!とか、
ちょっと気にかけようかな?とか、
思ってくださるかもしれません。
それくらい、あなたが、
障害者の「何故、障害者と言われるのか?」を
知らないのだと思うのです。
あなたにも、
できないことや辛いことはありませんか?
絶対にあると思うのですよね。
ポイントはそこなのです。
さて、
「みんなちがって、みんないい」
という金子みすずさんの言葉を
ご存知ですか?
この言葉で自分が認められたという人は、
いると思います。
自分自身の存在意義を
感じることができたのでしょう。
さらに、この言葉で、
他の人を認めることができる人に、
なって頂けないかなと思うのです。
実は、自分のできないところは認めてよ!
言う人は多いのですが、
他者のできないところを認められないことから、
「障害」の世界が生まれていることに
つながっている可能性があります。
あの人、変だよね?
あの人、おかしいよね?
障害は、その人がおかしいのではなく、
障害は、その人が変なのでもないのです。
そのような他の人と違う人は、
たくさんいるのです。
つまり、同じ人は誰もいないです。
あなたがあなた自身や
あなたが理想とする人を基準にして
物事を考えることから、
そこにも「障害」が生まれるのです。
逆に、あなたのできなさを他人から見られて、
「それができないから、あなたは嫌い」
といわれたらどうしましょうか?
できないことは誰にでもあるのに、
できる人から見たら、
あなたも障害者ですし、
その人も障害者ではないですか?
障害者だから嫌い。
その論理は通用しなくなりますね。
障害者であろうとなかろうと、
その人のできないところだけに目を向け、
自分と違うから嫌い!という前に、
その人を知ることから、
人間関係が始まるのです。
ある知的障害の人が、
「心臓が重い」
という言葉を発しました。
心臓が重いって、
想像できますか?
その感覚を持っている人がいるってことです。
あなたからすれば、変な人の部類でしょうか?
嫌いですか?
いや、これだけじゃわからないよ。
どういう意味か聞いて、付き合ってみなきゃ。
ということではないでしょうか?
自分と違う人を知ることができていけば、
あなたを知る人も増えていくのです。
私とその人の違い。
私と「障害者」の違いではなく、
私とその人の違い。
その人がなぜ、自分と違うのかと
想像してくださると、
もしかしたら「障害者」が減っていく気がします。
障害者という部類の人は、
社会の環境や皆さんの考えの中で
増えているのです。
「みんなちがって、みんないい」
そんな社会は、作ろうとしなければ、
作れないという悲しい事実です。
でも、できないわけではないと思っています。
あなたのできないことも認められ、
障害がある方のできないことも認められる。
きっと、やわらかな社会になることでしょう。