1個あるのに2個目を欲しがるの!
洗濯ばかりしている!
おもちゃを分解したがる!
長風呂!
いろいろ、支援者を悩ます
彼らの行動はありますね。
やめさせたいと思ったり、
どうしたものかと思う人も
多くいると思います。
たぶん、この意見には反論もあるかもしれませんが、
結論は、
その人の趣味と思えばよいのではないでしょうか?
たとえば、
ご自身が、
気に入ったTシャツがあって、
色違いで買いたいと思った時は
買いますよね?
でも、彼らが、
同じようなおもちゃをふたつ買おうとすると、
1個だけにしなさい!といわれ、
無駄遣いと注意を受けます。
こういうことが、様々な場面で、
支援者との間で繰り広げられるのです。
それは、その人がふたつ買う意味を
私たち支援者が捉えられないからではないでしょうか?
最終的に、
支援者が支援できる範囲や
その人のお金の範囲で、
できるのであれば、
「趣味」と思えばよいのではないでしょうか?
一つ一つのことに、
目くじらたてて、
何とかやめさせようとしているかもしれませんが、
かえって私たちのほうが無駄遣いしています。
私も買った本を読まないで
置きっぱなしになっていたり、
買ったはいいけど、
結局着ない洋服とか、
そういうことってありませんか?
これは自分のお金の範囲でやっているので、
誰にも何も言われませんけどね。
「無駄」かどうかは、
ご本人が考えることではありません。
他者が考えることです。
でも、絶対無駄だよ!
と思うかもしれませんが、
そういうことって、
その人が経験したあとで、
無駄だなと思わない限り、
わかっていただけないのです。
私たちもそうだと思うのです。
お酒・タバコをイメージすると
わかると思います。
周りがどんなに、
健康のためにとやめるよう言ったとしても
自分で結論付けなければ、
やめることはしません。
そうなったときに、
それ以上その人には言わないのは
けんかになるからです。
どうしても知的障害がある人のことは、
管理したがるのが私たち支援者です。
もちろん、湯水のごとく、
そればかりに集中しているのは、
また別な支援が必要かもしれませんが、
まずは、あなた自身が、
別方向から
落ち着いて考えていただきたいのです。
それは本当にやめさせるべき無駄遣いなのか?
それとも許せる趣味なのだろうか?と。
例えば、
ラジオを何個もほしがって、
そんな人はいないというかもしれませんが、
世の中には車を何台も買う人もいます。
ですから、
ラジオ集めが趣味なのかもしれないと思えばよいのです。
お金は出ていくかもしれませんが、
その人の生活を充実させるために必要であれば、
趣味としてとらえることは、
悪くはないと思います。
ただし、別な意味で、
命に係わるとか、
社会的な問題であると言うことは、
また別な支援が必要です。
それやそのことをする時間を手に入れることで、
趣味というイメージのものであるかどうかが、
考えるポイントです。
支援者側の気持ち次第です。
いつもいつも目くじら立ててばかりでは、
あなた自身も疲れ果てます。
そんな支援者にならないよう、
見方を変えてみませんか?