その言葉は事実を現すものか?



今日、書くお話は、
知的障害がある人だけではなく、
特に小さいお子さんがいるご家族の方にも
関係している内容になります。

支援者側が、
言葉のもつ意味をよく考えずに、
彼らに言葉を放っているよう
見受けられることがあり、
意味づけを捉えてから、
言葉を使ったほうが
良いと思うことが多々あるのです。

もちろん、言葉を使っている側は、
彼らのためにと思って言葉を使っており、
その言葉は、とってもメジャーな言葉であり、
どこのだれもが使っているような言葉です。

でも、
これっておかしくない?
と考えれば考えるほど、
この言葉を、ここで使うのは
的確ではないよなあと思うことが
多々見られるわけです。

さて、具体例をあげましょう。

「(歩道からはみ出すと)
車にひかれるよ!」

「走ると転ぶよ!」

「(高いところに登るのは)落ちるからやめなさい!」

「(そんなことをしたら)お巡りさんに叱られるよ!」

この手の言葉は、
誰もが簡単に使う言葉で、
でも、その言葉通りに
車にひかれたり、
転んだり
落ちたり、
おまわりさんに叱られたりするかというと、
そうではないことのほうが多いのも
明らかなのです。

支援者側は、
心配で心配で、
そういう言葉を使います。

街中にはそういう言葉も
あふれているので、
また別な人もまた
同じような言葉を繰り返します。

世代が変わっても、
これに変わる言葉が、
出てきません。

でも、
これらの言葉を
よく考えてみると、
おかしいと思いませんか?

「○○してほしくない」から、
「△△が起きるよ」
といっているわけです。

△△が起きて、
その人が被害にあうことよりも、
△△が起きたら、
支援者が困るから、
止めるために言っているようにも聞こえます。

そして、不安をあおりたてるような感じですね。

「△△が起きるかもしれない」は、
知っていても良いことだと思います。

でも、その行動をしたらこうなるよと
ならないかもしれないことを
断定的に言っていることは、
違う効果になってしまいます。

どういうことかというと、
例えば、歩道からはみ出しても、
車にひかれなかった場合、
支援者があんなことを言っているけど、
ひかれないじゃないかと思い、
結局は注意とは裏腹に、
道路にはみ出して歩く事にも
なりかねないのです。

注意をすることで、
支援者側は、大丈夫だろうと
思うかもしれないのはその時だけです。

ご本人が、言われたことをしなくても
大丈夫という感覚を持ってしまうと
支援者のいない所では、
はみ出すことをしてしまう訳です。

支援者が言ったことが嘘だった、
現実的じゃないだろうと思うようなとき、
彼らはそのあとの行動の変化が起きるのです。

私たちは真実を
話すべきではないでしょうか?
現実的な正しいことです。

街にあふれるような言葉を言えばよいのではなく、
その人にわかる言葉を使えばよいのです。

「車にひかれないためにどうするか?」
「転ばないためにどうするか?」
又は
「転ぶ場合もあるから転んだらどうするか?」
「高いところにの乗りたいなら何に気を付けるか?」

などと言うような視点で
話ができないだろうかとも思います。

実は、このようなことは、
せっぱつまったように言ってしまいがちなので、
例えば道路にはみ出しているときに話すのではなく、
日頃から気をつけることやするべきことを
話しておきましょう。

しかも、こちらから言いっぱなしではなく、
ご本人が自分で気づける
話題提供のような形の方が望ましいですね。

支援者側が気持ちを安定させて、
話す事で、
相手にも伝わりやすくなりますので
普段の中で取り入れる話として、
してみてください。

事が起きているときは、
注意をすればよい訳でもないですし、
ましてや非現実的なことを言っても
あなたの思っているような
行動に移るわけでもないので、
相手に効果的に伝わるよう、
今まで街にあふれていた方法を変えて、
伝えていきましょう。