知的障害や自閉症の人が、
量や時間などの加減がわからなかったり、
集中力が高すぎるくらい、時間の無駄のように見えたり、
お金を浪費しているように見えたり、
そういう、支援者側からは
やめてほしいけど、
いつもいつもやっているようなことがあります。
やっている意味も分からず、
心底やめてほしいと思えるようなことなので、
どうにかしてやめさせようと、
支援者として工夫をしていると思いますが、
言い合いになることさえ、あるのではないでしょうか?
もうやめにしてよと
何度も言ってもやめてもらえなかったり、
余計に固執してしまったり、
解決には程遠い行動ですね。
特に、その人がしていることに、
支援者自身に全く興味がなかったり、
お金を出すのが支援者であったり、
部屋が占領されたり、
施設でのプログラムも不参加だったりすると、
どうにかしてやめさせなければと思うようです。
その人とのやり取りで、
毎日、多くの時間を取っている場合もあって、
いがみ合いにも時間をかけ、
支援者の感情がイライラしているようですが、
その価値基準を
もう一度、冷静に、
支援者自身が捉えてほしいところです。
結論から言うと、
その人の趣味と思えませんか?
と言うことなのです。
こだわりもそうです。
毎日、○○を食べるなどと言うものも
しばらく続けていると
変わる場合もあるのですが、
やめさせようとすればするほど、
彼らは固執しますし、
こういうことを自分の身に置き換えて、
考えてほしいのです。
毎日続けていることって、
あなたにもありますよね?
それに、自分自身の趣味を
親や学校の先生や友達に、
「変な趣味」とか、
「そんなことになんでお金かけているのか?」
などと言う目で見られるようなことは
過去にありませんでしたか?
他者にとったら、
どうでもよいことでも、
自分にとっては、
大好きなもので、
どうしても時間をかけたいものだったりするわけで
自分自身がのめり込むこともあるでしょう?
あとになって趣味も変わるもので、
何であの時あのことに
固執していたのだろうと
思うこともありませんか?
そのイメージで、
彼らの行動を見ると、
ああ、趣味なんだな?とか、
そのうち変わるかな?などと考えることで、
自分が落ち着き、
妙に納得できないでしょうか?
あるご家族で、
1つの個人で使う電化製品を
持っているのに、
もう一つ買うといった時に、
家族中で反対をしていたので、
2つそろえる趣味でも良いのではないですか?
と話したことがありますが、
趣味でなくても気に入ったら、
同じものを色違いで買ったり、
する事もあるわけで、
その人が2つ以上そろえるのが趣味なんだなあなどと
視点を変えると、
目くじら立ることも少なくなるのではないでしょうか?
彼らが夢中になっていることに、
楽しいんだろうなあとか
集中しているなあとか、
そんな穏やかに見ていくことです。
あなたが反対したくなる気持ちも
わからなくはないのですが、
趣味があっても良いじゃないかと捉えられれば、
こだわりというレッテルにも
繋がらないかもしれません。
そして、
趣味をする時間を
制限するというより、
やってよい時間というくくりで、
考えてみましょう。
どうしても、彼らがすることは、
否定的にとらえがちですが、
お互い、折り合いがつけられれば、
よいでしょうね。
お金もいくらまでとか、
自分のお金から出すようにするとか、
そういう部分でも折り合いです。
あなたのまわりの知的障害の人の
趣味は何でしょう?
止めなければなりませんか?
やめさせたいのは誰のためですか?
その人の人生、
その人の趣味、
その人の自由という部分を
捉え直してみましょう!