あなたの常識が支援の邪魔をする



知的障害がある人への支援は、
私たち支援者が、
その人のニーズをつかみ、
この支援で行こうと
思ってしていると思いますが、
その際、
私たちが、
今まで個人的に送ってきた人生が
経験したことももとになり、
チームの他の職員がしていたことも見本になり、
ふくらみを持って、
支援にあたっていくとは思います。

もちろん、
その利用者の人が主ですから、
その人の生活の仕方が、
主となります。

その人の生活がうまくいかない場合、
「障害」があって
うまくいかない場合もありますし、
その人の生活習慣もまた、
支援者から見たら、
うまくいかない原因に
なっていることもあるでしょう。

こういう時にしてしまいがちなのが、
私たち支援者の
常識を当てはめようとしてしまう事です。

特に、
作業や生活習慣に関係することや、
人間関係の作り方、
お金に関すること、
薬に関することなどは、
彼らにとっては難しい部分も多く、
困っていることが多くなりがちですし、
あなたの常識を当てはめやすく、
半ば強制的になりやすく、
ご本人ができることや心地やすさを
後回しにして、
こうするべきだと
思い込み過ぎる傾向にある人が
非常に多くいます。

すると、どうしても
その人が自分の生活を
支援者に言われたとおりに
やってみようとはしますが、
自分のできることや
やりたいことではないので、
うまくいかない場合があるのです。

職員は、
あなたの常識の範囲で、
やればうまくいくと
思っているかもしれません。
でも、ご本人は、
そうは思っていないことなのです。
なのに、
支援者に合わせようと
してしまうのですね。

支援者の常識に
合わせられないと、
支援者からは、
できるはずだとか、
やらないとならないなど、
また常識を当てはめられるわけで、
ご本ににとっては、
非常に苦痛な生活にもなりかねません。

良かれと思ってやってはいるでしょうけど、
あなたの常識は、
その人に有効な手段なのでしょうか?

あなたの常識は、
確かにあなたにとっては、
有効な手段でしょう。

それは、あなたという
考える速度や内容
そして、行動力
地域生活の仕方、
人間関係
セルフマネジメントの実効性
など
あなただからできることなのです。

私たちは確かに自分の持つ情報は、
参考にしつつも、
彼らそのものの持っている力に合わせて、
再編しなければなりません。

例えば、
あなたが、料理をするときに
1時間でできるからといって、
その人は1時間ではできない時があります。
そういう人に1時間であなたができる調理を
基準とした生活は忙しくなります。

あなたは、週に1回の洗濯しかしないとしたときに、
毎日しかも1日3回洗濯をする人の
時間配分や水道費用の割り出しは、
あなたの基準では、立ち行かなくなるのです。

あなたは、絶対に交通機関を使って家に帰るために
終電を意識しているかもしれませんが、
時間配分や終電の意識ができない人が、
4時間でも歩いて家に帰る人もいるのです。

週5日施設に通うのは当たり前と思っていると、
そうではない人は福祉の土壌にあがっていません。

このようなことを目の当たりにした時に、
洗濯はそんなにしなくて大丈夫なんだよ。
とか、
とか、終電までに電車に乗るべきだ!
などと思い、そのために○○ができるでしょ?などと、
彼らの生活全体をイメージせずに、
ご自身の常識を
押し付けているだけになる
可能性があるのです。

それは間違いなのです。

あなたの常識はあなたの常識です。
それはわかります。
でも、彼らの生活もまた、
彼らの常識なのです。

それがどんなに困っていてもです。

もちろん方法の提案はあるにしても、
あなたの常識の範囲からの提案ではなく、
その人の生活を認め、
その人の生活の中で
それをしている意味(理由)を解釈し、
もし、困っていることがあっても、
その困っていることを
その人のできることを通し、
また、支援者側が支援し、
解決することなのです。

あなたの常識を主軸に考えると、
きっと意味不明なのだと思います。
彼らの常識の中からの考えるべきことなのです。

その生活には意味があるのです。

あなたは、自分自身の方法は参考にしても、
その人の生活をベースにした中で
使うだけにとどめ、
彼らの心地よい生活のためには、
もしかしたらあなた自身の常識は
その人の前では、
捨てなければならないこともあると理解して、
時に、自分の常識に
固執しないようにすることもまた
お勧めします。