支援の中断からニーズが見えることもある



支援者は、
ニーズがあると思われたことに対して、
絶対に支援したほうがよいのか?
と、いうと、
そうではないこともあります。

支援者としては、
積極的に介入をしたいことでも、
ニーズがあると見立てたことでも、
ご本人は支援が入ることに喜んでいたとしても、
ご本人が、
参加や行動していただけないようなことが
あるからです。

すると、
支援者がどんなに支援をしようとしても
支援できない状態。

じゃあ、ニーズではないのでは?
とも思えるのですが、
ご本人も何とかしたいと思いつつ、
やはり実現ができないのです。

もちろん、内容によっては、
サービスの不足もありますし、
支援者側の力量不足もあるかもしれませんし、
金銭的なこともあるかもしれませんが、
今現在の状況で、
やはりご本人が参加しないのです。

どんなに条件が整っていたとしても、
ご本人に参加ができないのであれば、
支援しようとしても、
ニーズはあるとしても、
突き詰めて考えれば、
今は、ニーズではないのかもしれません。

このあたりの
支援方法が変われば、
主体的に参加しようとするのか、
もしくは、どんなことがあっても
参加しようとしないのか?

つまり、彼らが行動に移そうとするのか、しないのか?

このことについては、
時期が違うかもしれませんし、
ご本人が、本当のニーズではないことに
気づいていないのかもしれません。

今ではなく、
もう少し違う時期に
再度ニーズとして上がる可能性もありますし、
どんな展開になるかは、
やってみないことには、
ご本人も気づけないのです。

そのあたり、
ニーズだからと言って、
何でも支援すると決めるのではなく、
今は支援しないという選択も
あるのではなでしょうか?

彼らの人生は、
彼らが主体となってするべきことですから、
私たちが、引っ張っていきすぎても
それは、支援者の主導になってしまいます。

彼らが、
行動すると思わないと
前には進めないからです。

例としては、こんなことがあります。

例えば、
その行為は健康を害すること。
医者から止められ、
自分でもやめたいのだといいつつ、
やはり健康を害することを、
止めない。

例えば、
施設(企業)に通うこと。
ご本人は、行きたい、働きたいといっても、
行かない。

例えば、
一人暮らしがしたいといって、
アパートに住み始めたが、
ひとりでは、不安だらけになっていて、
実家に帰る状態。

ご本人の意思を
様々な方法で考えつつです。

本当にニーズなのか、
そうではないのか?

本人がニーズと思っていても、
他の方法や代替を知らないだけなのか?

そういうことを目指すことで、
支援者からよく思われたいのか?

そのことに、ご本人が参加しないのであれば、
いろいろな可能性を探りつつも、
一度やめようと提案をすることです。

その状況や支援をやめることで、
明らかになるのは、
ご本人の気持ちです。

やりたい、やらなければならないと
考えていたことを、
やらなくてもよいのではないか?
他の方法があるのではないか?となった時に、
本当のニーズが出てくることもあるからです。

中断することは、
してよいのか?と思うこともあるでしょうけど、
あまり介入しすぎて、
支援者主導になりすぎ、
人生を壊すことにもなりかねませんので、
そこは、
一旦引くことも視野に入れましょう。

時が経ったり、
他のことに目が向いたときに、
今までニーズとしてきたことが、
本当にしたいことだったのか、
やらなくてもよいことだったのか、
そんなことをご本人も考えることでしょう。

「やっぱり必要だ」となった場合には、
行動の仕方が積極的になることもあります。

その人の支援そのものをやめるのではなく、
ご本人もその場から離れることで、
自分の人生を第三者的に見える状況にしてみたり、
私たち支援者も、
少し、離れたことで見えることを探ったり、
見守っていくイメージで、
関係性を保ちつつ、
目の前のことに惑わされず、
その人の人生の支援をし続けましょう。