あなたの基準を下げられるか?が自立のカギ



「うちの子は自立できていない」
「利用者の状況から
就職先を紹介できない」

そういう言葉はよく聞きますね。

では、どういう状態だったら、
彼らは次のステージに
行くことができるのでしょうか?

ご家族が思い描く
自立のイメージとは?

そして、支援職員が思い描く、
就職できる人材とは?

たぶん、具体的なイメージは、
あまりなくて、
今以上にできることが
増えたら・・・などという、
漠然としたものではないでしょうか?

というのは、
「これが、自立の形です」
というものが、
ないからです。

支援者が不安になって、
迷惑をかけないように、
こうしなければならないのではないか?
あの人がこんなにできているのにと、
人と比べているから、
どうも自分が支援している人を
自立できない人と
見てしまうのだと思います。

なんでもよいから、
もっとできたほうが
よいのではないかと思い込んで、
半ば教育的に、
半ば強制的に、
何かをさせなければならないと
思い込んでいませんか?

彼らは、今の支援が行き届いている
状態でいるよりも、
一歩外に出たほうが、
自立度は上がります。

何かができない時に、
誰かに助けてもらうお願いをしたり、
自分のするべきことがわかったり、
失敗することで学んだり、
そういう次のアクションを、
自ら始めるからです。

私たち支援者が、
そばについていることが、
自立を促すのではなく、
逆に自立を阻害していることにも
なりかねません。

では、私たち支援者は
何をすればよいのでしょうか?

それは、
私たち支援者が自立の基準を
下げることです。

私たちの基準により、
彼らは次のステージに行くチャンスを
阻害されている可能性があるからです。

今の状態が、もう、
彼らにとっての自立かもしれませんし、
他者からは、
ここまで自立できていてすごいじゃないか!
といわれるくらいなのかもしれませんよ。

それくらい、人によって
評価は変わるのです。

ここまでできなければ、
自立ではないと決めたのは
あなた自身です。

あなたが作ったその基準は
本当に正しいのでしょうか?

もうすこし、
「自立」を気楽に考えましょう。

ただ、できれば、
SOSを表現することは、
できるとよいと思います。

できなくても、
どこにSOSを出そうかという話は
伝えてください。

そして、いざ、SOSをするときに
思い出すこともあります。

それぞれの自立の形があります。

「トイレに行きたい」と表現したことで
自立という人もいます。

一人暮らしで、住むことが自立の人もいます。

どちらも間違いではないですし、
今、トイレに行くと表現できた人に
次は一人暮らし!と、求めないでしょう?
私たちが、彼らのできないことを
できないと嘆く事でもありません。

自立の基準を
少し緩やかにすることは、
実は、その人の自立度が上がるということです。

ここまで行かなければ自立ではないというより、
ここまでできたから、
自立だねという考え方も
良いと思います。

様々な情報に惑わされず、
彼らの人生を支える支援者として、
様々な形の自立を考えていきましょう!