部下の失敗をよかったものと捉える



自分の仕事が、
うまくいかず失敗したと思う事は
どんな人でも1度以上経験すると思います。

それについて、上司に報告をする際に、
叱られるのではないだろうかと感じ、
何事もなければいいな…と思う人の方が
多くいると思います。

この時に失敗した事が、
自分を責める材料になり
何のためにこの仕事をしていたのかが
曖昧になる瞬間です。

上司も、仕事の失敗を報告されると、
その人を責めたてることが
多くあるように見受けられます。

最悪の場合、失敗そのものではなく、
その人自身の性格や人生などを
責め立てるため
失敗した人は、
仕事に対しての良い部分を
見失う瞬間にもなります。

どちらにしても、
自分を責めたり、
相手からも
自分を責められると言うことになり、
失敗を改善したり、
利用者のために改善しようと思うことが
後回しになっていることが
多く見受けられるのです。

心的ダメージが強いということで、
そこから立ち直ることに
気持ちが行ってしまうということが、
先になってしまうのです。

失敗をどうしたいのか?と
考えてみませんか?

将来に向かって欲しいのです。

失敗したことについて
利用者のために改善し、
前に進むために
報告があるのではないでしょうか?

そこを間違わずしたいのです。
この失敗と言うものを
違う角度から見てみたいと
思うのです。

この失敗をしたと
報告をするということは、
失敗に気づいたと言うことです。

それは、この先、利用者に
支援する際に失敗の状態ではなく、
サービスを提供できるということになります。
最初から全て失敗なくできる人の方が
少ないはずなのです。

また、失敗をしたからこそ、
わかることがありますよね?

失敗の見方を変えれば、
今失敗していてよかったねと
思うことも多くあるのです。

ですから、失敗をどういう風に見ていくのか、
何のために報告をするのか?
もう一度とらえ直しをしてみて欲しいのです。

実は私の職場は、
皆さんの職場から見れば
多くの失敗があります。

それをどういう風に捉えるかが、
皆さんの職場と違うところだと思います。

その失敗があったからこそ、
間違いが減るということにつながっているため、
失敗があったときに、
怒る・怒られると言う事はないのです。
そして、今見つかってよかったよね!と
喜んでいます。

もともと自分は、
職員を叱ることが、
多い管理職だったと思います。
例えば、利用者が
不利益を被るような支援をした場合に、
職員を叱ることが多くありました。

その方法が良かったかどうかは
その職員が決めることだとは思いますが、
上下関係の上に成り立っている
組織だったと思います。

今は、法人やスタッフと
作り上げる感覚でいます。
それは失敗をスタートと見ることが
できるからかもしれません。

最終的な責任は、
管理職が取ればいいことで
管理職は、利用者を守ることに
専念すればいいのです。

そうそう、ご自身のプライドを
先行して考える管理職も多いですからね。

誰でも間違うことはあります。
その時に怒れば、
間違いはなくなるかもしれません。
でも、「上司が怖い」という恐怖感が生まれ、
委縮してしまうのであれば、
逆効果かもしれません。

利用者にとって、
良い状態にすればいい訳で、
失敗しても、利用者にとっては、
問題ないこともたくさんあります。
また、先ほども言いましたように、
間違ったからこそ、わかることもあります。

そんなことでは、職員が育たない!
と思うかもしれませんが、
しかり過ぎて、
辞めてしまわれたり、
心がやむようであれば、
そちらの方が損失です。
要するに部下への接し方の方法論です。

なんで、報告をさせるのか?
なんで、相談をさせるのか?

それは、あなたの力を誇示する時間でもなく、
その職員と、今から先を見るためです。

目的を、持ちましょう。
その職員を育てることと思うよりも、
利用者を思いましょう。

そうすることで、
職員は、自然と成長していきます。